2013年03月28日
第6回 現代アート展「むすびじゅつ」
前回に引き続き、現代アート展「むすびじゅつ」を紹介します。概要は前回書きましたが、簡単におさらいです。「むすびじゅつ」は、3月5日から10日まで、静岡市内の公私6施設を会場に、静岡ゆかりの若手作家の作品を展示するという催しでした。DARA DA MONDE創刊号の座談会がきっかけとなり、静岡県立美術館学芸員の川谷承子さんが主導して企画され、同美術館で開催された財団法人地域創造の研修「アートミュージアムラボ」の関連企画として行われました。
◆ 「むすびじゅつ」公式サイト http://www.musubijutsu.net/
まず、3月8日にオルタナティブスペース・スノドカフェで平川渚さんのインスタレーションを見ました。
◆平川渚さんのサイト http://www.hirakawanagisa.net/
平川渚さん作品
古着を裂いてひもにし、編み込んだ作品です。スノドカフェでの滞在制作で、約80着の古着が使われているそうです。布の質感のあたたかみがありますが、服を裂くという行為はどこか激しく痛々しいイメージも掻き立てます。螺旋状に大きくうねった三つ編みから1本1本のひもが上へのびています。これらがむすびつき全体をつくり上げている。筋肉の繊維にも似て、血の匂いがするという感じ。血管や胎内を想起させるようでもあります。自由に触れられますし、螺旋の中に入ることもできます。匂い立つような生命感が魅力ではないかと思いました。
3月9日には、静岡シネ・ギャラリー サールナートホール、ボタニカ アートスペース、Gallery PSYS(サイズ)、静岡県立美術館をまわりました。
静岡シネ・ギャラリー サールナートホールでは、辻直之さんのアニメーション作品の上映です。
◆静岡シネ・ギャラリー http://www.cine-gallery.jp/
◆小山登美夫ギャラリーのサイトより辻直之さんのページ http://www.tomiokoyamagallery.com/artists/tsuji/
サールナートホール写真
絵を木炭で描き、フィルムにコマ撮りして制作されたモノクロのアニメーションでした。同じ紙に、描いては消し、描いては消し……と繰り返しているので、動きの軌跡が、絵を消した黒い跡になって画面に残ります。これがおもしろい効果を生んでいました。3本の短編を見たのですが、内容は幻想的。イメージの中からさらにイメージが展開するようで、ストーリーは奔放で奇怪なものです。けれど、とても自然な流れがある。ついて行っていいのかな?(見ていいのかな?)という不気味さと小さい畏れを感じながら、それでも眺めてしまう、そんな視覚体験でした。
ボタニカ アートスペースでは、辻牧子さんの立体作品の展示がありました。
◆ボタニカ アートスペース http://www.kinza-botanica.com
◆辻牧子さんのサイト http://tsujimakiko.web.fc2.com/
辻牧子さん作品
トランペット、鞄、カメラ、地球儀など、既成品にアクリル絵の具を何層も塗り重ね、その上から彫刻刀で彫って模様をつけています。元の製品の形は認識できるのですが、表面は彫られた凹凸の模様で覆われているため、モノとしての存在感が強烈です。同時に、用途が失われるので骨董になる。普通の骨董ならばそこに歴史をある程度正確に読み取れるわけですが、これらにまとわりつく歴史性は装飾されていて現実離れしている。不安定な私的記憶を想起させる装置のようでもあるし、秩序立った幻想としての歴史を物質化しているようでもあります。
Gallery PSYSでは、川見俊さんの絵画作品でした。
◆Gallery PSYS http://www.psys-d.com/gallery/index.html
◆川見俊さんのサイト http://kawamishun.blogspot.jp/
川見さん作品
《地方の家》と名づけられたシリーズが中心です。作家が見つけた変わった配色の家を写真に撮影し、それを木板に描き起こしています。展示は、写真と絵画、それからコメントの3点セット。コメントからは、作家の生活風景が読み取れます。お金がないから新しい仕事を始めるとか、実家に帰って静養するとか。庶民の色彩感覚を内面化したり、すでに作家の中にあったそれを発見し直したりする過程を、見せられているかのようです。作家がアイデンティティを確認する過程でもあるのかも。現代生活者としての芸術家像へ想像を巡らせることになります。
静岡県立美術館エントランスでは、臼井良平さんと野沢裕さんの合同展示と、八木貴史さんの立体作品です。
◆静岡県立美術館 http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/
◆無人島プロダクションのサイトより臼井良平さんページ
http://www.mujin-to.com/artist_usui.htm
◆野沢裕さんのサイト http://yutakanozawa.com/Yutaka_Nozawa_ye_ze_yu/top.html
野沢さん臼井さん作品1
美術館のエントランス正面奥に、ビデオの三脚とその向こうにうつる影。三脚の影の上で、存在しない鳥の影が動いています。その横に石を積み上げた写真。ペットボトルの形をしたオブジェ。さらに奥のスペースにも展示があります。
野沢さん臼井さん作品2
スクラップブックの表紙に投影された赤いカーテンと海。絵はがきやラフスケッチの数々。古い時計、ビン、コーヒーカップ等。じっくり見ているとどことなく連想を追うことができる気がする。先の展示が作品の表であれば、こちらは思考の痕跡である裏側という印象。作家のプライベートデスクや頭の中のイメージを散らしながら空間構成している。日常の中に無時間をつくり想像力を広げる、その追体験を促しているかのようです。
◆MEGUMI OGITA GALLERYのサイトより八木貴史さんページ
http://www.megumiogita.com/cn4/pg123.html
八木さん作品
1階から2階への階段とミュージアムショップに6点の立体作品。最も存在感があったのは、色鉛筆を束ねた素材のシャンデリア型の彫刻。表面全体に色鉛筆の芯が見えるためカラフルです。光のスペクトルが貼りついているようにも思える。彫刻は素材の中に模倣対象の形を見出すものですが、シャンデリアの形だけでなく光そのものの模倣ともとれる。素材が色鉛筆ですから集合的に形が生み出されている点も気になりました。他には、柱にとまった蝶、ショップで販売中の彫刻「考える人」のアレンジなど、僅かながら気づきを促し、目線を変えさせる作品です。
上記7人の展示の感想から浮かび上がる共通点をあげると、身近なものを素材とし、全く別の次元へ接続していることでしょうか。「身近な素材を使っている」という指摘は、県立美術館学芸員の川谷さんのものです。確かに、平川さんの古着、辻直之さんの木炭、辻牧子さんの既製品、川見さんの家、臼井さんと野沢さんの三脚やペットボトルやプライベートスケッチ、八木さんの色鉛筆。どれも身近な素材です。今回の作家は70年代から80年代前半生まれの方々。問題意識や活動の場もそれぞれではありますが、何か共通項があるのかもしれません。身近な素材だからと言って、プライベートな範囲におさまった作品かというと、そうではない。公共性へひらかれた作品だと思います。素材から構想を練り、他人へ開示するまでの労力を惜しんでいない。作家各自が私的な領域に転がっているモノを別の次元へ生成する力学を持っている。そのときどんな次元へ接続しようとするかによって、アウトプットが変わってくるでしょう。どんな世界観や社会認識を前提とし、誰に向けた作品なのか、どこで発表する作品なのか。
残念ながら、SPAC-静岡県舞台芸術センターでの遠藤一郎さんの展示と静岡県立大学で行われた凧揚げには参加できませんでした。「むすびじゅつ」というテーマにおいて最もそれっぽい企画(みんなで凧揚げ!)だったはずですが、どうだったのでしょう。
「むすびじゅつ」を通して、はじめて協力することになった公私6施設の実績は静岡市における文化活動にとって大きいのではないでしょうか。新しい公共とよく言われますが、これからは官民問わず公共空間を積極的に生み出していく時代でしょう。公立施設ではルールの縛りが多く、なかなかこういった試みに協力的になれないという面がありますし、民間施設のどこと協力するのかという選別に窮屈な公平性原理を採用せざるをえなくなる場合もあるかもしれない。その点、今回は、できる範囲で、ゆるやかな横の連帯により、学生ボランティアの力を借りながら、難なく運営されたことが、まずは注目点だと思います。
課題もたくさんあるでしょう。展覧会は、そこに何らかの文脈を生み出し、個々の作品の間を意味づけするものです。その点での「むすびじゅつ」がもっと感じられるとおもしろかったのではないかと思います。噂によると、この企画は、何らかの形で継続する方向を検討中だそうです。よい発展を願っています。
こういう試みが、アートに限らず、静岡の気づかないところで、偶発的に起こっているはずなんです。自分が暮らす地域の意欲的な動きにもっと注目したいと思います。それでは今回はこのへんで。ごきげんよう。
◆ 「むすびじゅつ」公式サイト http://www.musubijutsu.net/
まず、3月8日にオルタナティブスペース・スノドカフェで平川渚さんのインスタレーションを見ました。
◆平川渚さんのサイト http://www.hirakawanagisa.net/
平川渚さん作品
古着を裂いてひもにし、編み込んだ作品です。スノドカフェでの滞在制作で、約80着の古着が使われているそうです。布の質感のあたたかみがありますが、服を裂くという行為はどこか激しく痛々しいイメージも掻き立てます。螺旋状に大きくうねった三つ編みから1本1本のひもが上へのびています。これらがむすびつき全体をつくり上げている。筋肉の繊維にも似て、血の匂いがするという感じ。血管や胎内を想起させるようでもあります。自由に触れられますし、螺旋の中に入ることもできます。匂い立つような生命感が魅力ではないかと思いました。
3月9日には、静岡シネ・ギャラリー サールナートホール、ボタニカ アートスペース、Gallery PSYS(サイズ)、静岡県立美術館をまわりました。
静岡シネ・ギャラリー サールナートホールでは、辻直之さんのアニメーション作品の上映です。
◆静岡シネ・ギャラリー http://www.cine-gallery.jp/
◆小山登美夫ギャラリーのサイトより辻直之さんのページ http://www.tomiokoyamagallery.com/artists/tsuji/
サールナートホール写真
絵を木炭で描き、フィルムにコマ撮りして制作されたモノクロのアニメーションでした。同じ紙に、描いては消し、描いては消し……と繰り返しているので、動きの軌跡が、絵を消した黒い跡になって画面に残ります。これがおもしろい効果を生んでいました。3本の短編を見たのですが、内容は幻想的。イメージの中からさらにイメージが展開するようで、ストーリーは奔放で奇怪なものです。けれど、とても自然な流れがある。ついて行っていいのかな?(見ていいのかな?)という不気味さと小さい畏れを感じながら、それでも眺めてしまう、そんな視覚体験でした。
ボタニカ アートスペースでは、辻牧子さんの立体作品の展示がありました。
◆ボタニカ アートスペース http://www.kinza-botanica.com
◆辻牧子さんのサイト http://tsujimakiko.web.fc2.com/
辻牧子さん作品
トランペット、鞄、カメラ、地球儀など、既成品にアクリル絵の具を何層も塗り重ね、その上から彫刻刀で彫って模様をつけています。元の製品の形は認識できるのですが、表面は彫られた凹凸の模様で覆われているため、モノとしての存在感が強烈です。同時に、用途が失われるので骨董になる。普通の骨董ならばそこに歴史をある程度正確に読み取れるわけですが、これらにまとわりつく歴史性は装飾されていて現実離れしている。不安定な私的記憶を想起させる装置のようでもあるし、秩序立った幻想としての歴史を物質化しているようでもあります。
Gallery PSYSでは、川見俊さんの絵画作品でした。
◆Gallery PSYS http://www.psys-d.com/gallery/index.html
◆川見俊さんのサイト http://kawamishun.blogspot.jp/
川見さん作品
《地方の家》と名づけられたシリーズが中心です。作家が見つけた変わった配色の家を写真に撮影し、それを木板に描き起こしています。展示は、写真と絵画、それからコメントの3点セット。コメントからは、作家の生活風景が読み取れます。お金がないから新しい仕事を始めるとか、実家に帰って静養するとか。庶民の色彩感覚を内面化したり、すでに作家の中にあったそれを発見し直したりする過程を、見せられているかのようです。作家がアイデンティティを確認する過程でもあるのかも。現代生活者としての芸術家像へ想像を巡らせることになります。
静岡県立美術館エントランスでは、臼井良平さんと野沢裕さんの合同展示と、八木貴史さんの立体作品です。
◆静岡県立美術館 http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/
◆無人島プロダクションのサイトより臼井良平さんページ
http://www.mujin-to.com/artist_usui.htm
◆野沢裕さんのサイト http://yutakanozawa.com/Yutaka_Nozawa_ye_ze_yu/top.html
野沢さん臼井さん作品1
美術館のエントランス正面奥に、ビデオの三脚とその向こうにうつる影。三脚の影の上で、存在しない鳥の影が動いています。その横に石を積み上げた写真。ペットボトルの形をしたオブジェ。さらに奥のスペースにも展示があります。
野沢さん臼井さん作品2
スクラップブックの表紙に投影された赤いカーテンと海。絵はがきやラフスケッチの数々。古い時計、ビン、コーヒーカップ等。じっくり見ているとどことなく連想を追うことができる気がする。先の展示が作品の表であれば、こちらは思考の痕跡である裏側という印象。作家のプライベートデスクや頭の中のイメージを散らしながら空間構成している。日常の中に無時間をつくり想像力を広げる、その追体験を促しているかのようです。
◆MEGUMI OGITA GALLERYのサイトより八木貴史さんページ
http://www.megumiogita.com/cn4/pg123.html
八木さん作品
1階から2階への階段とミュージアムショップに6点の立体作品。最も存在感があったのは、色鉛筆を束ねた素材のシャンデリア型の彫刻。表面全体に色鉛筆の芯が見えるためカラフルです。光のスペクトルが貼りついているようにも思える。彫刻は素材の中に模倣対象の形を見出すものですが、シャンデリアの形だけでなく光そのものの模倣ともとれる。素材が色鉛筆ですから集合的に形が生み出されている点も気になりました。他には、柱にとまった蝶、ショップで販売中の彫刻「考える人」のアレンジなど、僅かながら気づきを促し、目線を変えさせる作品です。
上記7人の展示の感想から浮かび上がる共通点をあげると、身近なものを素材とし、全く別の次元へ接続していることでしょうか。「身近な素材を使っている」という指摘は、県立美術館学芸員の川谷さんのものです。確かに、平川さんの古着、辻直之さんの木炭、辻牧子さんの既製品、川見さんの家、臼井さんと野沢さんの三脚やペットボトルやプライベートスケッチ、八木さんの色鉛筆。どれも身近な素材です。今回の作家は70年代から80年代前半生まれの方々。問題意識や活動の場もそれぞれではありますが、何か共通項があるのかもしれません。身近な素材だからと言って、プライベートな範囲におさまった作品かというと、そうではない。公共性へひらかれた作品だと思います。素材から構想を練り、他人へ開示するまでの労力を惜しんでいない。作家各自が私的な領域に転がっているモノを別の次元へ生成する力学を持っている。そのときどんな次元へ接続しようとするかによって、アウトプットが変わってくるでしょう。どんな世界観や社会認識を前提とし、誰に向けた作品なのか、どこで発表する作品なのか。
残念ながら、SPAC-静岡県舞台芸術センターでの遠藤一郎さんの展示と静岡県立大学で行われた凧揚げには参加できませんでした。「むすびじゅつ」というテーマにおいて最もそれっぽい企画(みんなで凧揚げ!)だったはずですが、どうだったのでしょう。
「むすびじゅつ」を通して、はじめて協力することになった公私6施設の実績は静岡市における文化活動にとって大きいのではないでしょうか。新しい公共とよく言われますが、これからは官民問わず公共空間を積極的に生み出していく時代でしょう。公立施設ではルールの縛りが多く、なかなかこういった試みに協力的になれないという面がありますし、民間施設のどこと協力するのかという選別に窮屈な公平性原理を採用せざるをえなくなる場合もあるかもしれない。その点、今回は、できる範囲で、ゆるやかな横の連帯により、学生ボランティアの力を借りながら、難なく運営されたことが、まずは注目点だと思います。
課題もたくさんあるでしょう。展覧会は、そこに何らかの文脈を生み出し、個々の作品の間を意味づけするものです。その点での「むすびじゅつ」がもっと感じられるとおもしろかったのではないかと思います。噂によると、この企画は、何らかの形で継続する方向を検討中だそうです。よい発展を願っています。
こういう試みが、アートに限らず、静岡の気づかないところで、偶発的に起こっているはずなんです。自分が暮らす地域の意欲的な動きにもっと注目したいと思います。それでは今回はこのへんで。ごきげんよう。
Posted by 日刊いーしず at 12:00