2013年08月15日
第15回 都市部と中山間地の狭間で
この記事を書いているのは8月6日、68回目の原爆の日にあたります。この1年間に亡くなった被爆者の数は5,859人で、その名簿が広島の平和記念式典で納められました。コラムが公開されるのは8月15日、68回目の終戦記念日です。原爆の日や終戦記念日を設けるのは、人の一生を越えた歴史において、記憶を受け継ぐ機能があるからです。戦争体験者が激減している日本では、これからがむしろ、記憶の橋渡しにおける正念場ではないでしょうか。
昨今の東アジア情勢を見ていると、近未来の戦争を想像し、心底怖くなることがあります。戦後の自民党は、親米路線をとってきたように見えて、日本の独立を志向してきたと言えると思います。その根幹が改憲であり、その中に現在の「国防軍」なる軍隊の提案がある。評判がいいとは言いません。しかし、日本の国土には、日米安全保障条約に基づき、アメリカ軍の基地があります。静岡県内にも演習場がありますね。これについて問い直す契機は、日々のニュースの至るところにあるにもかかわらず、戦後の平和教育は、自国が軍隊を持つことについてアレルギーのように拒否する傾向を育てたと、ぼくは考えています。
仮にアメリカから軍事上独立したとして、軍隊を持つべきか否かは賛否あるでしょう。ぼくも日々考える問題の一つであり、考え方は揺れてきました。自分の中に、軍隊を持つべきでないという論理と、軍隊を肯定する論理が、共存しています。それについてはここで詳しく書きませんが、なぜそんな話から始めたかと言えば、あらためて平和について思うことがあったからです。
静岡シネ・ギャラリーで『ちいさな、あかり』というドキュメンタリー映画を見ました。静岡市葵区の山間の集落、大沢地区の生活を記録した映画です。
◆『ちいさな、あかり』公式サイト
http://www.art-true.com/news/chiisanaakari.html
◆静岡シネ・ギャラリーによる『ちいさな、あかり』特集ページ
http://www.cine-gallery.jp/cinema/2013/tokusyu/chiisanaakari.html
『ちいさな、あかり』のチラシ
全23戸の集落で、80歳以上の高齢者が何人も登場し、その元気な姿に驚嘆しました。80歳以上ということは、戦前の生まれということです。日本社会が大きいねじれを抱え込んだ敗戦という節目を経験した人たち。社会背景が描かれるわけではありませんが、そこが気になるんですね。
現在の80歳代の元気は、どこから来るのかと思います。日頃から感じることですが、長く生きれば皆元気になるとは思えない。一国が底から割れる凄まじい節目に立ち会った時代の精神性が、彼女らにあるのではないかと思います。どん底から立ち上がる国の姿、その高低を、静岡の山奥でしずかに見守ってきた人たちなんだと、映画を見て思いました。
この映画は不穏なくらい、影をほとんど描かないです。山奥に理想のエコライフが存在していると、まるで本気で思っているかのように、目が眩むような美しい茶畑の情景と、自然の恵みを活かしたのどかな生活を写し取っている。嘘のように存在しえた歴史の一点、今この限りに存在しえた幸福な一点だと、皮肉を込めて提示しているのかと深読みしてしまうほどですが、そういうわけではないようです。
ここに描かれる生活は楽なものではないでしょう。特に現代の都市生活に慣れたぼくのような人間には、楽なはずがない。いつでもこの生活に帰って行ける、そんなふうには思えない。その決定的な弱さ、現代人としての脆弱を自覚させられます。
根を剥奪されるレール。ぼくは日本の教育をそんなふうに捉えています。学校で一生懸命勉強して、それなりの成績を取って、悪くない大学に行って、ある程度の人生が待っているのだと思っていたら、仕事さえ満足に得られない、そんな場所しかなかった。いつの間にか、見知らぬ土地で、人間関係をうまく築けずに、やりがいがあるのかどうかもわからない仕事を続けている。自分が乗っていたのは、根を剥奪されるレールだったというわけです。後からそれに気づく。そう感じている人はきっと多いです。
映画の中の生活があまりにまぶしいのは、ぼくも上記の感覚を少なからず共有しているからです。都市部と中山間地、その板挟み状態を強く思うのです。
これが平和と何の関係があるのかと言われそうですが、考えてみてください。この国にはそうした若者のフラストレーションが溜まっています。まとまったフラストレーションが社会的にカタルシスを求めれば、その最たる方法は戦争でしょう。そこに金儲けをしたい金持ち連中が入り込む。厳しい時代だと思います。『ちいさな、あかり』を見て、このあかりは、灯り続けるのかな、消えるのかな、と思ったのでした。
静岡県知事の川勝平太氏は「内陸フロンティア構想」という政策方針を掲げています。地震による津波リスクのある沿岸部から内地へ、物流や食品産業を集め、逆に沿岸部での農業振興を支援するという政策です。具体的にどういった事業になるのかわかりませんが、新東名高速道路近郊の中山間地に光が当たれば、都市部と中山間地を行き来するライフスタイルも現実的になるかもしれません。『ちいさな、あかり』の屈託のない明るさの裏側に、そうしたポジティブな志向があるのならば、若年層にとっても、なるほど灯すあかりになりうるでしょう。
地理的に身近な地域のはずなのに、あまり知らない生活を覗き見ると、自分の生活を問い直さずにはいられません。『ちいさな、あかり』は、そんなひっかかりのある映画でした。
では、今回はこのへんで、ごきげんよう。
昨今の東アジア情勢を見ていると、近未来の戦争を想像し、心底怖くなることがあります。戦後の自民党は、親米路線をとってきたように見えて、日本の独立を志向してきたと言えると思います。その根幹が改憲であり、その中に現在の「国防軍」なる軍隊の提案がある。評判がいいとは言いません。しかし、日本の国土には、日米安全保障条約に基づき、アメリカ軍の基地があります。静岡県内にも演習場がありますね。これについて問い直す契機は、日々のニュースの至るところにあるにもかかわらず、戦後の平和教育は、自国が軍隊を持つことについてアレルギーのように拒否する傾向を育てたと、ぼくは考えています。
仮にアメリカから軍事上独立したとして、軍隊を持つべきか否かは賛否あるでしょう。ぼくも日々考える問題の一つであり、考え方は揺れてきました。自分の中に、軍隊を持つべきでないという論理と、軍隊を肯定する論理が、共存しています。それについてはここで詳しく書きませんが、なぜそんな話から始めたかと言えば、あらためて平和について思うことがあったからです。
静岡シネ・ギャラリーで『ちいさな、あかり』というドキュメンタリー映画を見ました。静岡市葵区の山間の集落、大沢地区の生活を記録した映画です。
◆『ちいさな、あかり』公式サイト
http://www.art-true.com/news/chiisanaakari.html
◆静岡シネ・ギャラリーによる『ちいさな、あかり』特集ページ
http://www.cine-gallery.jp/cinema/2013/tokusyu/chiisanaakari.html
『ちいさな、あかり』のチラシ
全23戸の集落で、80歳以上の高齢者が何人も登場し、その元気な姿に驚嘆しました。80歳以上ということは、戦前の生まれということです。日本社会が大きいねじれを抱え込んだ敗戦という節目を経験した人たち。社会背景が描かれるわけではありませんが、そこが気になるんですね。
現在の80歳代の元気は、どこから来るのかと思います。日頃から感じることですが、長く生きれば皆元気になるとは思えない。一国が底から割れる凄まじい節目に立ち会った時代の精神性が、彼女らにあるのではないかと思います。どん底から立ち上がる国の姿、その高低を、静岡の山奥でしずかに見守ってきた人たちなんだと、映画を見て思いました。
この映画は不穏なくらい、影をほとんど描かないです。山奥に理想のエコライフが存在していると、まるで本気で思っているかのように、目が眩むような美しい茶畑の情景と、自然の恵みを活かしたのどかな生活を写し取っている。嘘のように存在しえた歴史の一点、今この限りに存在しえた幸福な一点だと、皮肉を込めて提示しているのかと深読みしてしまうほどですが、そういうわけではないようです。
ここに描かれる生活は楽なものではないでしょう。特に現代の都市生活に慣れたぼくのような人間には、楽なはずがない。いつでもこの生活に帰って行ける、そんなふうには思えない。その決定的な弱さ、現代人としての脆弱を自覚させられます。
根を剥奪されるレール。ぼくは日本の教育をそんなふうに捉えています。学校で一生懸命勉強して、それなりの成績を取って、悪くない大学に行って、ある程度の人生が待っているのだと思っていたら、仕事さえ満足に得られない、そんな場所しかなかった。いつの間にか、見知らぬ土地で、人間関係をうまく築けずに、やりがいがあるのかどうかもわからない仕事を続けている。自分が乗っていたのは、根を剥奪されるレールだったというわけです。後からそれに気づく。そう感じている人はきっと多いです。
映画の中の生活があまりにまぶしいのは、ぼくも上記の感覚を少なからず共有しているからです。都市部と中山間地、その板挟み状態を強く思うのです。
これが平和と何の関係があるのかと言われそうですが、考えてみてください。この国にはそうした若者のフラストレーションが溜まっています。まとまったフラストレーションが社会的にカタルシスを求めれば、その最たる方法は戦争でしょう。そこに金儲けをしたい金持ち連中が入り込む。厳しい時代だと思います。『ちいさな、あかり』を見て、このあかりは、灯り続けるのかな、消えるのかな、と思ったのでした。
静岡県知事の川勝平太氏は「内陸フロンティア構想」という政策方針を掲げています。地震による津波リスクのある沿岸部から内地へ、物流や食品産業を集め、逆に沿岸部での農業振興を支援するという政策です。具体的にどういった事業になるのかわかりませんが、新東名高速道路近郊の中山間地に光が当たれば、都市部と中山間地を行き来するライフスタイルも現実的になるかもしれません。『ちいさな、あかり』の屈託のない明るさの裏側に、そうしたポジティブな志向があるのならば、若年層にとっても、なるほど灯すあかりになりうるでしょう。
地理的に身近な地域のはずなのに、あまり知らない生活を覗き見ると、自分の生活を問い直さずにはいられません。『ちいさな、あかり』は、そんなひっかかりのある映画でした。
では、今回はこのへんで、ごきげんよう。
Posted by 日刊いーしず at 12:00