2013年09月26日
第18回 消費者として見識を持つ
静岡銀行呉服町支店7階にあるギャラリー四季で、9月12日から18日の間、静岡白黒写真同好会(会長・竹林喜由氏)の第3回写真展が行われていました。静岡白黒写真同好会はモノクロフィルム愛好家の集まりで、50歳代から70歳代までの18人のメンバーで構成されています。



静岡白黒写真同好会展示の様子
同好会代表者の挨拶文によると、モノクロフィルムは保存性に優れているとのこと。カラー写真は色素原料が劣化を招く原因になりますし、デジタル媒体への記録は技術の進歩とともにデータをバックアップする手間がかかる。CDやDVDに記録しても数十年でディスクが劣化するとも言われます。これに比べ、モノクロフィルムはネガもプリントも長持ちする。現に百年以上前の写真が残っているというわけです。
こういう観点は現在の社会生活では忘れられがちです。効率が優先されると、データ保存に場所をとらない方がよいし、できるだけ簡単に撮影できる方がよいということになる。けれど立ち止まって考えてみれば、必ずしもそうではないでしょう。長く残るという価値が確かにある。自分が死んでしまった後まで想像するような長いスパンかもしれない。ある時代の写真が後世へ伝わること。もっと具体的に想像すれば、家族写真が曾孫の代まで伝わること。そう考えてみると、効率ばかり求めて未来を想像しない、そんな当たり前になっている考え方を問い直すことができるかもしれません。
この種の同好会は、写真に限らず、あらゆるジャンルで全国至る所にあると思います。愛好家の層がジャンルを支えている。趣味でやっていると言っても、プロ顔負けの技術を持った人もいます。静岡白黒写真同好会の中にも写真集を出すような方もいると聞きました。
同好会のような集まりは、今の若い人にはあまり流行らないかもしれませんが、情報や意見を交換する場があると、趣味に磨きがかかります。こういうことがけっこう大事な気がします。
趣味だという立場は、消費者だという立場に近いと思います。趣味でカメラを購入してあれこれ撮影する。撮影して写真を生産しているのだけれど、それは楽しみのためであって、販売するためではない。だからうまく撮影できなくてもいい。だけど、できればうまく撮影したい。そういう中途半端が趣味には付き物です。
中途半端はまた消費者の特徴でもあります。生産者は商品でビジネスをしなくてはいけませんからマジです。一方、消費者はパン一つ購入するにもうまいパン屋を選べばいいわけで、ふらふらできる。購入してみてあまりよくないと思えば、次回は購入しないでしょう。「この店のパンを買い続けなくてはいけない!」なんて、消費者は普通、考えないものです。
ところが、消費者が中途半端であるために、欲しくない物を買わされていることがあると思います。使わない機能がたくさんついた製品を購入した経験は、今や誰しもあるのではないでしょうか。これだけデジタルカメラが普及しても、本当に必要な機能はどれかということを、どれだけの人が把握しているか疑問です。
現在の社会を考えるとき、消費者として見識を持つことが重要だと思います。この場合に、趣味であれ同好会的な集まりが有効だと思ったのでした。カメラについて詳しくなれば、当然、購入するカメラをシビアに見るようになるでしょう。パンに詳しくなればもっとうまいパンを求めるでしょうし、漫画に詳しくなれば読んだこともないような新鮮な漫画を読みたくなる。
消費者として見識を持てば、消費活動が変わります。これはまた生産活動を動かすことにもなるはずです。なぜなら生産者は売れる製品をつくるから。使われない機能がたくさんついたデジタルカメラを誰も買わなくなれば、生産者はそんな製品を製造するのを止めます。消費活動が生産活動を促進するし、抑止もする、ということです。
こういう観点から、批評の可能性があると思います。批評というと「うるさいことを言う人」みたいなイメージを持たれがちですが、それは誤解です。誰しも物事に対する時に、これはよい、とか、よくない、という判断をする。これがすでに批評的な行為です。むしろ、批評をしないと、消費者は生産者に惑わされるだけになってしまいます。消費者として見識を持ち、消費活動を選ぶことができなくなるでしょう。
芸術文化には経済活動から離れた面があるため、生産と消費の関係上、批評の位置づけが曖昧になります。ともすれば、芸術文化は楽しむものだから批評は必要ないという考えにもなります。それは違うと思うのです。何であれ批評がなければ活性化しません。消費を深く楽しむことができないし、生産者へ刺激もありません。趣味と専門家(プロ)に置き換えて言うならば、趣味を深く楽しむことができないし、プロを刺激することもできない。批評はその意味で消費と生産の間、趣味人と専門家の間にあり、両者をつなぎ、吟味を促します。
同好会の展示はどこかのんびりして落ち着いたものでしたが、おそらく何十年もカメラを構えてきたメンバーの方々に蓄積した知識を想像し、趣味を極めることと消費活動について考えました。
今回は、このへんで。ごきげんよう。
静岡白黒写真同好会展示の様子
同好会代表者の挨拶文によると、モノクロフィルムは保存性に優れているとのこと。カラー写真は色素原料が劣化を招く原因になりますし、デジタル媒体への記録は技術の進歩とともにデータをバックアップする手間がかかる。CDやDVDに記録しても数十年でディスクが劣化するとも言われます。これに比べ、モノクロフィルムはネガもプリントも長持ちする。現に百年以上前の写真が残っているというわけです。
こういう観点は現在の社会生活では忘れられがちです。効率が優先されると、データ保存に場所をとらない方がよいし、できるだけ簡単に撮影できる方がよいということになる。けれど立ち止まって考えてみれば、必ずしもそうではないでしょう。長く残るという価値が確かにある。自分が死んでしまった後まで想像するような長いスパンかもしれない。ある時代の写真が後世へ伝わること。もっと具体的に想像すれば、家族写真が曾孫の代まで伝わること。そう考えてみると、効率ばかり求めて未来を想像しない、そんな当たり前になっている考え方を問い直すことができるかもしれません。
この種の同好会は、写真に限らず、あらゆるジャンルで全国至る所にあると思います。愛好家の層がジャンルを支えている。趣味でやっていると言っても、プロ顔負けの技術を持った人もいます。静岡白黒写真同好会の中にも写真集を出すような方もいると聞きました。
同好会のような集まりは、今の若い人にはあまり流行らないかもしれませんが、情報や意見を交換する場があると、趣味に磨きがかかります。こういうことがけっこう大事な気がします。
趣味だという立場は、消費者だという立場に近いと思います。趣味でカメラを購入してあれこれ撮影する。撮影して写真を生産しているのだけれど、それは楽しみのためであって、販売するためではない。だからうまく撮影できなくてもいい。だけど、できればうまく撮影したい。そういう中途半端が趣味には付き物です。
中途半端はまた消費者の特徴でもあります。生産者は商品でビジネスをしなくてはいけませんからマジです。一方、消費者はパン一つ購入するにもうまいパン屋を選べばいいわけで、ふらふらできる。購入してみてあまりよくないと思えば、次回は購入しないでしょう。「この店のパンを買い続けなくてはいけない!」なんて、消費者は普通、考えないものです。
ところが、消費者が中途半端であるために、欲しくない物を買わされていることがあると思います。使わない機能がたくさんついた製品を購入した経験は、今や誰しもあるのではないでしょうか。これだけデジタルカメラが普及しても、本当に必要な機能はどれかということを、どれだけの人が把握しているか疑問です。
現在の社会を考えるとき、消費者として見識を持つことが重要だと思います。この場合に、趣味であれ同好会的な集まりが有効だと思ったのでした。カメラについて詳しくなれば、当然、購入するカメラをシビアに見るようになるでしょう。パンに詳しくなればもっとうまいパンを求めるでしょうし、漫画に詳しくなれば読んだこともないような新鮮な漫画を読みたくなる。
消費者として見識を持てば、消費活動が変わります。これはまた生産活動を動かすことにもなるはずです。なぜなら生産者は売れる製品をつくるから。使われない機能がたくさんついたデジタルカメラを誰も買わなくなれば、生産者はそんな製品を製造するのを止めます。消費活動が生産活動を促進するし、抑止もする、ということです。
こういう観点から、批評の可能性があると思います。批評というと「うるさいことを言う人」みたいなイメージを持たれがちですが、それは誤解です。誰しも物事に対する時に、これはよい、とか、よくない、という判断をする。これがすでに批評的な行為です。むしろ、批評をしないと、消費者は生産者に惑わされるだけになってしまいます。消費者として見識を持ち、消費活動を選ぶことができなくなるでしょう。
芸術文化には経済活動から離れた面があるため、生産と消費の関係上、批評の位置づけが曖昧になります。ともすれば、芸術文化は楽しむものだから批評は必要ないという考えにもなります。それは違うと思うのです。何であれ批評がなければ活性化しません。消費を深く楽しむことができないし、生産者へ刺激もありません。趣味と専門家(プロ)に置き換えて言うならば、趣味を深く楽しむことができないし、プロを刺激することもできない。批評はその意味で消費と生産の間、趣味人と専門家の間にあり、両者をつなぎ、吟味を促します。
同好会の展示はどこかのんびりして落ち着いたものでしたが、おそらく何十年もカメラを構えてきたメンバーの方々に蓄積した知識を想像し、趣味を極めることと消費活動について考えました。
今回は、このへんで。ごきげんよう。
Posted by 日刊いーしず at 12:00