2013年03月14日
第5回 「お・むすびじゅつ」と生活の記憶
安倍首相がTPP(環太平洋経済連携協定)への交渉参加を事実上認めたようです。「聖域なき関税撤廃」ではないことがわかったからでしょうか。とはいえ、どんな品目が「聖域」なのか、明らかにされてはいません。これからの交渉によるのでしょうが、ますます経済最優先の世の中になっていくことを危惧します。お金のある人はいいんです。どんな世の中になろうが、豊かな生活を享受できるでしょう。けれど、お金のない人は悲惨です。より安価な品物を求めて生活するよりほかない。毎日何を食べることになるのだろう。どんな楽しみを持てるのだろう。そんなことを想像すると、誰のための豊かな世界がつくられようとしているのか、いつも不思議に思います。
ぼくが編集代表をしている芸術批評誌DARA DA MONDEの創刊号が発行されたのは、約1年前、2012年2月初頭でした。巻頭企画は、静岡市内の美術館、劇場、映画館、ギャラリーなどで活動している方々に集まっていただいて実現した座談会。そのときに「一緒に何かできたらおもしろい」という話が出てきたんですね。まさかわずか1年で実現するとは思ってもいませんでした。
というのは、2013年3月5日から10日まで、現代アート展「むすびじゅつ」が開催されたんです。アートミュージアムラボという、財団法人地域創造が主催する美術館関係者の研修が3月6日から8日に静岡県立美術館で行われました。この関連事業として、座談会に参加してくださった県立美術館学芸員の川谷承子さんが主導して企画されたのが「むすびじゅつ」です。県立美術館のほか、SPAC-静岡県舞台芸術センター、静岡シネ・ギャラリー、Gallery PSYS(サイズ)、ボタニカ アートスペース、そしてスノドカフェの公私6施設を会場に、企画委員によって厳選された静岡ゆかりの若手作家による展示でした。
◆財団法人地域創造のサイトより「アートミュージアムラボ」
http://www.jafra.or.jp/j/guide/independent/study03/index.php
◆ 現代アート展「むすびじゅつ」公式サイト
http://www.musubijutsu.net/
今回のコラムでは、「むすびじゅつ」のプレイベントとして2月24日に行われた「お・むすびじゅつ」というワークショップを紹介します。会場は静岡市葵区にある旧アソカ幼稚園。宝台院というお寺の一画にある建物で、お稽古事や勉強会などに利用されるレンタルスペースです。
◆宝台院のサイトより「旧アソカ幼稚園」
http://www.houdaiin.jp/classroom.html
「お・むすびじゅつ」では、栽培から炊飯まで徹底して米にこだわる安東米店の協力のもと、炊き立てのご飯を囲んで、参加者がおむすびを握ります。
◆安東米店「ankome通信」
http://ankome.com/
おむすびの具は、参加者が持ち寄った郷土の惣菜。好きな具を小皿にとって、ご飯の入った釜のところへ行くと、手のひらを水で濡らし、塩を少々、ご飯を手のひらの上へ。あ、熱い、こんなんだっけ、おむすび握るの・・・握ります。
おむすびを握るなんて、おそらく小学生以来。ぎこちなく、ぐにゃぐにゃと握りました。不格好ながら、ご飯と具のおかげで、美味しいおむすびが、誰でも、できます。いつも何食ってたかな、って、ちょっとかなしくもなります。まわりを見渡すと、参加者の幸福そうな風景。比較的若い人が多かったと思います。子連れのお母さんがちらほらいて、子どもがはしゃいでいたのが印象的です。




会場の一画に、静岡、日本、世界の地図があり、参加者が出身地におむすび型の小さい旗をさせるようになっています。

お味噌汁をつくっていたのは、週末のイベントなどによく参加されている、澤野宏史さん。豆乳入りのお味噌汁が評判になっていました。

こちらでは梅ヶ島製のお茶が提供されています。

染織家の稲垣有里さんが、自作の特製ふろしきの紹介にやってきました。二重になったふろしきが十字型にとめられていて、あいたスペースを自由自在に収納空間にできるというもの。アイディア製品です。

部屋の奥では、こどもたちのために紙芝居が始まっています。

おむすびワークショップの周囲で色々なことが起こっていました。人の輪と簡単に言うけれど、実に妙なものだと思います。次から次にひっきりなしに人が集まってくる。ここに集まった人たちのどれだけの人が、これが現代アート展のプレイベントだと知っていて、この後、会場をまわって、現代アートなる「高尚なもの」を「鑑賞」してくれるのかはわかりません。わかりませんが、そんなことはおかまいなしに、おむすびを握りに、人は、集まる。幸福そうに食う。こういう生活のレベルを根底に物事を考えたいと思います。
で、おむすびです。おむすびって、いつからあるんでしょう。少なく見積もっても何百年も前からあるはずです。現在、普段からおむすびを握る人は少なくなっているのではないでしょうか。あらためておむすびを握ってみると、不思議な感覚があります。手のひらにご飯がついたり、それを唇でぬぐったり、ほころびるご飯の塊を三角形にまとめあげたり、そういう行為のいちいちに、記憶が付着していて、こそばゆい感じがする。久しぶりに鬼ごっこをするとか、なくした愛用自転車を見つけるとか、そういう感覚にきっと近い。おむすびという行為が、忘れられたものとして、強く意識されてきます。そこにはもう戻れないけど目の前にある、そんな距離を感じる。
思えば、おむすびはコンビニで買うものになりました。たしかにコンビニには色々な種類がある。イクラやしらすがあれば、赤飯やシーチキンもある。けれど、おむすびを握るという、生々しい体験が、そこにはない。手のひらについた米粒を唇の先でひろうなんてことはない。この豊かさ、生活の細部を、ぼくたちの社会は忘れようとしているのかもしれません。それってどういう世界だろう。そんなことを思うんです。
「お・むすびじゅつ」は、おむすびワークショップを通して、人のつながりを浮かび上がらせるよう企画されたものだったのかもしれない。それは充分に成功していたでしょう。しかし、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、今ある生活の姿から、失った生活の豊かさを想わせる、記憶のむすび目を意識させるものでした。
次回は現代アート展「むすびじゅつ」の本編を紹介しようと思います。
それでは、今回はこのへんで。ごきげんよう。
ぼくが編集代表をしている芸術批評誌DARA DA MONDEの創刊号が発行されたのは、約1年前、2012年2月初頭でした。巻頭企画は、静岡市内の美術館、劇場、映画館、ギャラリーなどで活動している方々に集まっていただいて実現した座談会。そのときに「一緒に何かできたらおもしろい」という話が出てきたんですね。まさかわずか1年で実現するとは思ってもいませんでした。
というのは、2013年3月5日から10日まで、現代アート展「むすびじゅつ」が開催されたんです。アートミュージアムラボという、財団法人地域創造が主催する美術館関係者の研修が3月6日から8日に静岡県立美術館で行われました。この関連事業として、座談会に参加してくださった県立美術館学芸員の川谷承子さんが主導して企画されたのが「むすびじゅつ」です。県立美術館のほか、SPAC-静岡県舞台芸術センター、静岡シネ・ギャラリー、Gallery PSYS(サイズ)、ボタニカ アートスペース、そしてスノドカフェの公私6施設を会場に、企画委員によって厳選された静岡ゆかりの若手作家による展示でした。
◆財団法人地域創造のサイトより「アートミュージアムラボ」
http://www.jafra.or.jp/j/guide/independent/study03/index.php
◆ 現代アート展「むすびじゅつ」公式サイト
http://www.musubijutsu.net/
今回のコラムでは、「むすびじゅつ」のプレイベントとして2月24日に行われた「お・むすびじゅつ」というワークショップを紹介します。会場は静岡市葵区にある旧アソカ幼稚園。宝台院というお寺の一画にある建物で、お稽古事や勉強会などに利用されるレンタルスペースです。
◆宝台院のサイトより「旧アソカ幼稚園」
http://www.houdaiin.jp/classroom.html
「お・むすびじゅつ」では、栽培から炊飯まで徹底して米にこだわる安東米店の協力のもと、炊き立てのご飯を囲んで、参加者がおむすびを握ります。
◆安東米店「ankome通信」
http://ankome.com/
おむすびの具は、参加者が持ち寄った郷土の惣菜。好きな具を小皿にとって、ご飯の入った釜のところへ行くと、手のひらを水で濡らし、塩を少々、ご飯を手のひらの上へ。あ、熱い、こんなんだっけ、おむすび握るの・・・握ります。
おむすびを握るなんて、おそらく小学生以来。ぎこちなく、ぐにゃぐにゃと握りました。不格好ながら、ご飯と具のおかげで、美味しいおむすびが、誰でも、できます。いつも何食ってたかな、って、ちょっとかなしくもなります。まわりを見渡すと、参加者の幸福そうな風景。比較的若い人が多かったと思います。子連れのお母さんがちらほらいて、子どもがはしゃいでいたのが印象的です。
会場の一画に、静岡、日本、世界の地図があり、参加者が出身地におむすび型の小さい旗をさせるようになっています。
お味噌汁をつくっていたのは、週末のイベントなどによく参加されている、澤野宏史さん。豆乳入りのお味噌汁が評判になっていました。
こちらでは梅ヶ島製のお茶が提供されています。
染織家の稲垣有里さんが、自作の特製ふろしきの紹介にやってきました。二重になったふろしきが十字型にとめられていて、あいたスペースを自由自在に収納空間にできるというもの。アイディア製品です。
部屋の奥では、こどもたちのために紙芝居が始まっています。
おむすびワークショップの周囲で色々なことが起こっていました。人の輪と簡単に言うけれど、実に妙なものだと思います。次から次にひっきりなしに人が集まってくる。ここに集まった人たちのどれだけの人が、これが現代アート展のプレイベントだと知っていて、この後、会場をまわって、現代アートなる「高尚なもの」を「鑑賞」してくれるのかはわかりません。わかりませんが、そんなことはおかまいなしに、おむすびを握りに、人は、集まる。幸福そうに食う。こういう生活のレベルを根底に物事を考えたいと思います。
で、おむすびです。おむすびって、いつからあるんでしょう。少なく見積もっても何百年も前からあるはずです。現在、普段からおむすびを握る人は少なくなっているのではないでしょうか。あらためておむすびを握ってみると、不思議な感覚があります。手のひらにご飯がついたり、それを唇でぬぐったり、ほころびるご飯の塊を三角形にまとめあげたり、そういう行為のいちいちに、記憶が付着していて、こそばゆい感じがする。久しぶりに鬼ごっこをするとか、なくした愛用自転車を見つけるとか、そういう感覚にきっと近い。おむすびという行為が、忘れられたものとして、強く意識されてきます。そこにはもう戻れないけど目の前にある、そんな距離を感じる。
思えば、おむすびはコンビニで買うものになりました。たしかにコンビニには色々な種類がある。イクラやしらすがあれば、赤飯やシーチキンもある。けれど、おむすびを握るという、生々しい体験が、そこにはない。手のひらについた米粒を唇の先でひろうなんてことはない。この豊かさ、生活の細部を、ぼくたちの社会は忘れようとしているのかもしれません。それってどういう世界だろう。そんなことを思うんです。
「お・むすびじゅつ」は、おむすびワークショップを通して、人のつながりを浮かび上がらせるよう企画されたものだったのかもしれない。それは充分に成功していたでしょう。しかし、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、今ある生活の姿から、失った生活の豊かさを想わせる、記憶のむすび目を意識させるものでした。
次回は現代アート展「むすびじゅつ」の本編を紹介しようと思います。
それでは、今回はこのへんで。ごきげんよう。
Posted by 日刊いーしず at 12:00