2013年04月25日
第8回 ギャラリーとりこと若い才能
静岡県立美術館では、草間彌生展が始まりました。現代アート界のマスターとして尊敬を集める草間さん。一般的には水玉模様が大好きな変なおばさんとして認知されているかもしれません。DARA DA MONDEの発行者であるスノドカフェの柚木氏に伝え聞いたところによると、オープニングの挨拶で、草間さんは「死期が近づいているのを感じる。でも、死ぬ気でがんばります。」と淡々と話されたとか・・・。驚異の1929年生まれ。「晩年」・・・にあたる、であろう、近年のみずみずしい作品群を堪能したいところです。おばさんじゃないですね。おばあちゃんです。
◆静岡県立美術館 草間彌生展「永遠の永遠の永遠」
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2013/01.php
今回紹介するのは、大野カメラ店が経営する「ギャラリーとりこ」です。店長の大野仁志さんいわく、気軽に使える発表のスペース。ここから外の世界へ活躍の場を広げてほしい、とギャラリー運営を始めたそうです。静岡市北街道沿いにあり、中心市街地からのアクセスもよいため、若い作家たちに愛用されています。地域のカメラ屋として、一緒に歳を重ねていけるお客さんとネットワークを築きたい。そんな思いも、ギャラリーの空間に反映されているのかもしれません。大手量販店にカメラ販売では勝ち目がない。けれど、長いつきあいを通じた写真撮影は、人生をともに歩むのと同じ。ここでしかできない写真があるはず。ギャラリーでは毎月企画展も開催し、写真家の集いの場にもなっているようです。
◆大野カメラ店 http://ohnocameraworks.eshizuoka.jp/
◆ギャラリーとレンタル暗室 とりこ http://toriko.eshizuoka.jp/
大野カメラ店の店内
ギャラリーとりこの入口
どんな業界にもマスターがいれば、新入りがいます。新入りの意欲と実験性を、真正面から受け止めなければ、業界に新しい血液が入らなくなるでしょう。4月12日から17日まで、ギャラリーとりこで「無意識の行方」というタイトルの4人展が開催されました。企画をしたのは常葉大学造形学部3年の近藤大輔さんです。近藤さんは、静岡市を中心に、精力的に活動をしています。JR東静岡駅近くの文化施設グランシップの歩道沿い展示スペースに置かれた、近藤さんの虹の絵を見たことがある人もいるでしょう。
「無意識の行方」では、近藤さんのほか、坂隼治さん、佐野翔さん、古木香衣さん、の同年代の若い作家が集まりました。展示はとてもシンプルです。同じ大きさのキャンバスに限られた色を使用して描いた作品。1人2作品ずつ展示されています。近藤さんの話によると、キャンバスの大きさや色といった、絵を描く条件を限定することで、その縛りを意識し、かえって無意識が表に出てくるのではないかと考えたそうです。
結果的にできた作品を見て、ぼくが感じたのは、どれも似たような質感があることです。作家同士で打ち合わせて、あえて似たようなものを創作したわけではないようです。要素を限定していますから、おのずと似てくるのは当然ですが、そこから何らかの作家性、企画者の意図で言えば、作家固有の「無意識」を期待してしまうのが、鑑賞者の欲望でしょう。この同質性を率直に提示してくる作家たちに驚きました。
個性と言われるものが本当にあるならば、強烈な個性ほど注目を浴びる。そうであれば、強烈な個性を演じ続けることもあると思います。彼らにそんな身ぶりは全くない。ぼくはここに、清いものを感じます。作家として、それがよい振るまいなのかどうかはわかりません。もっと自己を演出して、我の強い展示を行った方が、作家として生きていくことを選んだ者にとってはよいのかもしれない。ですが、「無意識の行方」で彼らが提示したのは、無意識的に同質を志向している同世代の感性でした。そのこと自体に、ある批評性が宿っていると言える。
もちろん、個性なんてない、とすぐに判断を下すことはできません。注意深く絵を眺めれば、作家各自の筆使いの違いを見ることはできる。佐野さんは太い筆で奔放な線を躍動的に塗り重ねているし、近藤さんは筆の流れや配色に構成意識をもって画面を埋め、具体物を想起させもする。坂さんは画面の変化を極力おさえながら白の絵の具を印象的に浮かび上がらせているし、古木さんは偶然にまかせた描法で落ち着きのある画面を構成している。
それでも、ここに、同質性を感じる。共通点は、一つに明らかな具体物が描かれていないこと、二つにそれと連動して抽象表現になっていること、三つに色調が穏やかであること、四つに画面上のバランスがよいこと。
念のため質問して確かめたのですが、作品を展示した4人は、仲のよい友達というわけではなく、この企画のために近藤さんが声をかけたメンバーだそうです。とくに意気投合するような間柄ではない。それなのに、彼らの無意識が同質を志向しているとしたら、とても興味深い。
正直なところ、この同質性には危ういものを感じます。空気を読むとよく言いますが、企画を進める過程で、作家同士がなんとなく空気を読んで、結果的にこういったアウトプットになっているのかもしれない。グローバルに画一化する力が強く働いている昨今、無意識的に同質性を志向している感性を感じさせられると、どきっとします。倫理的に警戒する気持ちもわく。
しかし一方で、この同質性には、作家の勇気も感じさせます。ある作家とある作家が似た性質の作家として受け取られることを恐れていないからです。これは何より正直だし、こういう正直を創作の出発点にすればよいとも思うんです。また、個性の有無を度外視した、従来とは違う作家像が、すでに作家たちの念頭にあるのかもしれない。個性を殊更うたうような作家像ではない。地味かもしれないが、淡々と個人の関心をもとに創作を突きつめていく、その喜びを報酬にした、ただそれだけの存在。今の段階では、そこに輝きはないでしょう。けれど、突きつめた先に、人を驚かせるような成果が出る可能性がある。そういう意味で、この同質性の無意識は、飾らない創作態度の表明のようでもある。
展示に妙な清潔感があったのは、そのあたりと無関係ではないと思います。作家の足場を飾り気なく見つめる態度。それが仮に、個性なんてあるの?という、作家としては恐ろしい、その最初期に誰もが気づきうる事実だとしても、それを冷徹に見つめる勇気から、何か新しいことが起こるかもしれない。これは誠実な研究の基礎だろうし、また、無意識の同質性を逆手にとった表現もありうる。そんなことを考えました。
若い作家の展示からは色々なことを感じとります。ぼくもそう年齢が変わりませんから、むしろ一緒に次の時代をつくっていくような感覚です。無名の作家の中から、世界を変えてしまうようなスターが出てこないとも限りません。そんなふうに、小さいギャラリーを見て歩くと、楽しいものです。
最後に告知です。DARA DA MONDEでは、4月26日より、オープンスクールを開設します。発行元の清水区スノドカフェを会場に、月1回のペースで開催する講座です。柔軟な発想と議論ができる、楽しい学びの場を目指しますので、ぜひご参加ください。
◆西川のブログより「DARA DA MONDEオープンスクール」
http://nin2pujya.exblog.jp/18489208/
では、今回はこのへんで、ごきげんよう!
◆静岡県立美術館 草間彌生展「永遠の永遠の永遠」
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2013/01.php
今回紹介するのは、大野カメラ店が経営する「ギャラリーとりこ」です。店長の大野仁志さんいわく、気軽に使える発表のスペース。ここから外の世界へ活躍の場を広げてほしい、とギャラリー運営を始めたそうです。静岡市北街道沿いにあり、中心市街地からのアクセスもよいため、若い作家たちに愛用されています。地域のカメラ屋として、一緒に歳を重ねていけるお客さんとネットワークを築きたい。そんな思いも、ギャラリーの空間に反映されているのかもしれません。大手量販店にカメラ販売では勝ち目がない。けれど、長いつきあいを通じた写真撮影は、人生をともに歩むのと同じ。ここでしかできない写真があるはず。ギャラリーでは毎月企画展も開催し、写真家の集いの場にもなっているようです。
◆大野カメラ店 http://ohnocameraworks.eshizuoka.jp/
◆ギャラリーとレンタル暗室 とりこ http://toriko.eshizuoka.jp/
大野カメラ店の店内
ギャラリーとりこの入口
どんな業界にもマスターがいれば、新入りがいます。新入りの意欲と実験性を、真正面から受け止めなければ、業界に新しい血液が入らなくなるでしょう。4月12日から17日まで、ギャラリーとりこで「無意識の行方」というタイトルの4人展が開催されました。企画をしたのは常葉大学造形学部3年の近藤大輔さんです。近藤さんは、静岡市を中心に、精力的に活動をしています。JR東静岡駅近くの文化施設グランシップの歩道沿い展示スペースに置かれた、近藤さんの虹の絵を見たことがある人もいるでしょう。
「無意識の行方」では、近藤さんのほか、坂隼治さん、佐野翔さん、古木香衣さん、の同年代の若い作家が集まりました。展示はとてもシンプルです。同じ大きさのキャンバスに限られた色を使用して描いた作品。1人2作品ずつ展示されています。近藤さんの話によると、キャンバスの大きさや色といった、絵を描く条件を限定することで、その縛りを意識し、かえって無意識が表に出てくるのではないかと考えたそうです。
結果的にできた作品を見て、ぼくが感じたのは、どれも似たような質感があることです。作家同士で打ち合わせて、あえて似たようなものを創作したわけではないようです。要素を限定していますから、おのずと似てくるのは当然ですが、そこから何らかの作家性、企画者の意図で言えば、作家固有の「無意識」を期待してしまうのが、鑑賞者の欲望でしょう。この同質性を率直に提示してくる作家たちに驚きました。
個性と言われるものが本当にあるならば、強烈な個性ほど注目を浴びる。そうであれば、強烈な個性を演じ続けることもあると思います。彼らにそんな身ぶりは全くない。ぼくはここに、清いものを感じます。作家として、それがよい振るまいなのかどうかはわかりません。もっと自己を演出して、我の強い展示を行った方が、作家として生きていくことを選んだ者にとってはよいのかもしれない。ですが、「無意識の行方」で彼らが提示したのは、無意識的に同質を志向している同世代の感性でした。そのこと自体に、ある批評性が宿っていると言える。
もちろん、個性なんてない、とすぐに判断を下すことはできません。注意深く絵を眺めれば、作家各自の筆使いの違いを見ることはできる。佐野さんは太い筆で奔放な線を躍動的に塗り重ねているし、近藤さんは筆の流れや配色に構成意識をもって画面を埋め、具体物を想起させもする。坂さんは画面の変化を極力おさえながら白の絵の具を印象的に浮かび上がらせているし、古木さんは偶然にまかせた描法で落ち着きのある画面を構成している。
それでも、ここに、同質性を感じる。共通点は、一つに明らかな具体物が描かれていないこと、二つにそれと連動して抽象表現になっていること、三つに色調が穏やかであること、四つに画面上のバランスがよいこと。
念のため質問して確かめたのですが、作品を展示した4人は、仲のよい友達というわけではなく、この企画のために近藤さんが声をかけたメンバーだそうです。とくに意気投合するような間柄ではない。それなのに、彼らの無意識が同質を志向しているとしたら、とても興味深い。
正直なところ、この同質性には危ういものを感じます。空気を読むとよく言いますが、企画を進める過程で、作家同士がなんとなく空気を読んで、結果的にこういったアウトプットになっているのかもしれない。グローバルに画一化する力が強く働いている昨今、無意識的に同質性を志向している感性を感じさせられると、どきっとします。倫理的に警戒する気持ちもわく。
しかし一方で、この同質性には、作家の勇気も感じさせます。ある作家とある作家が似た性質の作家として受け取られることを恐れていないからです。これは何より正直だし、こういう正直を創作の出発点にすればよいとも思うんです。また、個性の有無を度外視した、従来とは違う作家像が、すでに作家たちの念頭にあるのかもしれない。個性を殊更うたうような作家像ではない。地味かもしれないが、淡々と個人の関心をもとに創作を突きつめていく、その喜びを報酬にした、ただそれだけの存在。今の段階では、そこに輝きはないでしょう。けれど、突きつめた先に、人を驚かせるような成果が出る可能性がある。そういう意味で、この同質性の無意識は、飾らない創作態度の表明のようでもある。
展示に妙な清潔感があったのは、そのあたりと無関係ではないと思います。作家の足場を飾り気なく見つめる態度。それが仮に、個性なんてあるの?という、作家としては恐ろしい、その最初期に誰もが気づきうる事実だとしても、それを冷徹に見つめる勇気から、何か新しいことが起こるかもしれない。これは誠実な研究の基礎だろうし、また、無意識の同質性を逆手にとった表現もありうる。そんなことを考えました。
若い作家の展示からは色々なことを感じとります。ぼくもそう年齢が変わりませんから、むしろ一緒に次の時代をつくっていくような感覚です。無名の作家の中から、世界を変えてしまうようなスターが出てこないとも限りません。そんなふうに、小さいギャラリーを見て歩くと、楽しいものです。
最後に告知です。DARA DA MONDEでは、4月26日より、オープンスクールを開設します。発行元の清水区スノドカフェを会場に、月1回のペースで開催する講座です。柔軟な発想と議論ができる、楽しい学びの場を目指しますので、ぜひご参加ください。
◆西川のブログより「DARA DA MONDEオープンスクール」
http://nin2pujya.exblog.jp/18489208/
では、今回はこのへんで、ごきげんよう!
Posted by 日刊いーしず at 12:00