2013年06月27日
第12回 島田蓬莱座と大衆演劇
大衆演劇を初めて見たのは、東京都台東区浅草の木馬館大衆劇場でした。知人に連れられて行ったのですが、そのきらびやかな衣裳、鬘、メイク、過剰に情緒を押し出す演技、愛嬌を振りまく舞踊に、ちょっとした目眩を覚えました。後から思えば、それはそのときに見た劇団の個性であると同時に、大衆演劇そのものの特徴でした。こういう世界があるんだと、どこか遠い目で見ていたと思います。
大衆演劇って何? という方は、以下のサイトを見ると、どんな雰囲気のものか想像できるでしょう。大衆演劇という呼称は、歴史的に見れば娯楽本位の演劇を広くカバーする言い方ですが、現在では以下のサイトにあるようなスタイルの演劇を大衆演劇と呼んでいます。
◆大衆演劇「公式」総合情報サイト http://0481.jp/
今年3月、島田市に大衆演劇専門の劇場ができました。先日、初めて行ってきましたので、今回はそのレポートです。劇場の名は島田蓬莱座。JR六合駅から徒歩で約15分。東海道沿いにあります。静岡県内では健康ランドや温泉センター付属の劇場は他にもありますが、大衆演劇専門劇場はここだけです。
◆島田蓬莱座のブログ http://ameblo.jp/shimadahoraiza/
島田蓬莱座の外観
劇場内の様子
大衆演劇の世界はおもしろいもので、130以上ある劇団が日本中をまわっています。1ヶ月興行を基本に各地の劇場や健康ランドを転々とするんです。旅役者というと昔の役者を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、現在でも大衆演劇の俳優はまさに旅役者。年中巡業公演を続け、毎日のように舞台に立っています。
島田蓬莱座の6月興行は、かつき夢二劇団。ぼくが行った日は特別ゲストで劇団千章の市川良二座長が参加していて客席は大入り。安心の高齢者率で、残念ながら若者らしき人はいません。舞踊、芝居、舞踊の3部構成。休憩含め3時間以上ありました。
第1部舞踊ステージの様子
第2部は泉鏡花原作『婦系図』(おんなけいず)より「湯島の境内」という有名な場面。原作は1907年発表の小説で、1908年に舞台化されました。新派劇と呼ばれる演劇のジャンルの名作とされ、現在でもたびたび上演されます。新派劇は、歌舞伎を旧派と呼ぶのに対して、新しい流派という意味。明治時代に入り、演劇の変革が進むなか、従来の歌舞伎とは違う演劇が試みられます。それが新派劇と呼ばれるようになっていくのです。
現在の大衆演劇で、新派劇の名作『婦系図』を上演するのは、どちらかと言うと、大衆演劇っぽくないと思います。夫婦の悲恋を描いていてシリアス、台詞は緻密に構築されており、大衆演劇の娯楽性とそぐわない感じがあるのです。が、大衆演劇は、その舞踊や芝居の質感から、歌舞伎の亜流とも言われ、歴史的には新派劇と近からず遠からずとも考えられます。その意味では、大衆演劇の源流を歴史的に省みているような気もし、あえてこの演目を上演するところに、表現者の気概を感じもしました。
第2部『婦系図』より
第3部は再び舞踊ステージ。写真を見てもらえるとわかると思うのですが、衣裳や鬘の美的感覚は、日本の和テイストにヤンキー的要素を盛ったもの。和服の色彩感覚や髪のアゲアゲ感はヤンキーっぽいでしょう。大衆演劇を楽しめるかどうかは、この美的感覚に身を委ねられるかどうかにかかっていると言えるかもしれない。毎日舞台に立っている俳優ですから、舞踊の型も身体に馴染んでいて、芸それ自体は楽しい。そのとき視界を遮りうるとしたら、この美意識。いったんこの美意識に身を委ねると、大衆演劇固有のリズム感、情緒表現、観客に向けた身振りなどの細部に、見ているこっちの感性が連動し、快楽の淡い酩酊に入ります。
第3部舞踊ステージの様子
観客に高齢者が多いという事実には、平日の昼間に劇場へ行くことができる人たちという意味があると思うのですが、休日になれば若者が増えるとも想像できず、なぜかなと思います。大衆演劇の劇団では20代から30代の座長が増えているらしく、舞台に立っている役者はけっこう若いのです。先に書いた美意識からして、ビジュアル系と言えなくもない。とはいえ、芸の基礎は日本舞踊にありますから、音楽やダンスのトレンドとかけ離れた世界ではあります。それでも大衆演劇業界は脈々と続いている。
芸人はみな流れ者、アイドルだってスター歌手だって俳優だって同じようなものと言えばそうかもしれません。ですが、これほど流れ者の芸の味を体現しているジャンルは、今や他にないのではないかと思う。流れ者に特有の疎外感や異国情緒みたいなもの、そしてその裏返しの包容力が漂っている。日本全国津々浦々の大衆劇場やホテル、健康ランドで、できあがった高齢者の熱いまなざしを受けとめてきただけのことはある。役者を見たという気になります。
終演後には、かつき夢二座長自らロビーに立ち、観客を見送っていました
文化芸術を考えるときに、暮らしを支える文化と、流れていく芸術という観点を思います。文化はその土地固有の技術や感性によって生み出され、暮らしを支えるものですが、他所の土地へ流れていくと、新奇や珍妙なものとしておもしろがられる。文化が地域性に根差したものならば、芸術は流動性の上にあると考えてみることができる。そういう観点から大衆演劇を見ると、どういう文化を代表してこういったスタイルになっているのか、これが日本中を流れていること、そして日本の外へ出ないことは何を意味するのかと思います。このシーンに連なる景色に、あまり表に出ない日本の一面を見ることができるかもしれません。
大衆演劇をまだ見たことがないという方、静岡県では島田蓬莱座の他、以下の温泉センターなどで観劇できます。最初は怖いもの見たさで立ち寄ってみてはいかがでしょう。
◆大衆演劇「公式」情報総合情報サイトより 静岡の公演先 >クリックして見る
では、今回はこのへんで。ごきげんよう。
大衆演劇って何? という方は、以下のサイトを見ると、どんな雰囲気のものか想像できるでしょう。大衆演劇という呼称は、歴史的に見れば娯楽本位の演劇を広くカバーする言い方ですが、現在では以下のサイトにあるようなスタイルの演劇を大衆演劇と呼んでいます。
◆大衆演劇「公式」総合情報サイト http://0481.jp/
今年3月、島田市に大衆演劇専門の劇場ができました。先日、初めて行ってきましたので、今回はそのレポートです。劇場の名は島田蓬莱座。JR六合駅から徒歩で約15分。東海道沿いにあります。静岡県内では健康ランドや温泉センター付属の劇場は他にもありますが、大衆演劇専門劇場はここだけです。
◆島田蓬莱座のブログ http://ameblo.jp/shimadahoraiza/
島田蓬莱座の外観
劇場内の様子
大衆演劇の世界はおもしろいもので、130以上ある劇団が日本中をまわっています。1ヶ月興行を基本に各地の劇場や健康ランドを転々とするんです。旅役者というと昔の役者を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、現在でも大衆演劇の俳優はまさに旅役者。年中巡業公演を続け、毎日のように舞台に立っています。
島田蓬莱座の6月興行は、かつき夢二劇団。ぼくが行った日は特別ゲストで劇団千章の市川良二座長が参加していて客席は大入り。安心の高齢者率で、残念ながら若者らしき人はいません。舞踊、芝居、舞踊の3部構成。休憩含め3時間以上ありました。
第1部舞踊ステージの様子
第2部は泉鏡花原作『婦系図』(おんなけいず)より「湯島の境内」という有名な場面。原作は1907年発表の小説で、1908年に舞台化されました。新派劇と呼ばれる演劇のジャンルの名作とされ、現在でもたびたび上演されます。新派劇は、歌舞伎を旧派と呼ぶのに対して、新しい流派という意味。明治時代に入り、演劇の変革が進むなか、従来の歌舞伎とは違う演劇が試みられます。それが新派劇と呼ばれるようになっていくのです。
現在の大衆演劇で、新派劇の名作『婦系図』を上演するのは、どちらかと言うと、大衆演劇っぽくないと思います。夫婦の悲恋を描いていてシリアス、台詞は緻密に構築されており、大衆演劇の娯楽性とそぐわない感じがあるのです。が、大衆演劇は、その舞踊や芝居の質感から、歌舞伎の亜流とも言われ、歴史的には新派劇と近からず遠からずとも考えられます。その意味では、大衆演劇の源流を歴史的に省みているような気もし、あえてこの演目を上演するところに、表現者の気概を感じもしました。
第2部『婦系図』より
第3部は再び舞踊ステージ。写真を見てもらえるとわかると思うのですが、衣裳や鬘の美的感覚は、日本の和テイストにヤンキー的要素を盛ったもの。和服の色彩感覚や髪のアゲアゲ感はヤンキーっぽいでしょう。大衆演劇を楽しめるかどうかは、この美的感覚に身を委ねられるかどうかにかかっていると言えるかもしれない。毎日舞台に立っている俳優ですから、舞踊の型も身体に馴染んでいて、芸それ自体は楽しい。そのとき視界を遮りうるとしたら、この美意識。いったんこの美意識に身を委ねると、大衆演劇固有のリズム感、情緒表現、観客に向けた身振りなどの細部に、見ているこっちの感性が連動し、快楽の淡い酩酊に入ります。
第3部舞踊ステージの様子
観客に高齢者が多いという事実には、平日の昼間に劇場へ行くことができる人たちという意味があると思うのですが、休日になれば若者が増えるとも想像できず、なぜかなと思います。大衆演劇の劇団では20代から30代の座長が増えているらしく、舞台に立っている役者はけっこう若いのです。先に書いた美意識からして、ビジュアル系と言えなくもない。とはいえ、芸の基礎は日本舞踊にありますから、音楽やダンスのトレンドとかけ離れた世界ではあります。それでも大衆演劇業界は脈々と続いている。
芸人はみな流れ者、アイドルだってスター歌手だって俳優だって同じようなものと言えばそうかもしれません。ですが、これほど流れ者の芸の味を体現しているジャンルは、今や他にないのではないかと思う。流れ者に特有の疎外感や異国情緒みたいなもの、そしてその裏返しの包容力が漂っている。日本全国津々浦々の大衆劇場やホテル、健康ランドで、できあがった高齢者の熱いまなざしを受けとめてきただけのことはある。役者を見たという気になります。
終演後には、かつき夢二座長自らロビーに立ち、観客を見送っていました
文化芸術を考えるときに、暮らしを支える文化と、流れていく芸術という観点を思います。文化はその土地固有の技術や感性によって生み出され、暮らしを支えるものですが、他所の土地へ流れていくと、新奇や珍妙なものとしておもしろがられる。文化が地域性に根差したものならば、芸術は流動性の上にあると考えてみることができる。そういう観点から大衆演劇を見ると、どういう文化を代表してこういったスタイルになっているのか、これが日本中を流れていること、そして日本の外へ出ないことは何を意味するのかと思います。このシーンに連なる景色に、あまり表に出ない日本の一面を見ることができるかもしれません。
大衆演劇をまだ見たことがないという方、静岡県では島田蓬莱座の他、以下の温泉センターなどで観劇できます。最初は怖いもの見たさで立ち寄ってみてはいかがでしょう。
◆大衆演劇「公式」情報総合情報サイトより 静岡の公演先 >クリックして見る
では、今回はこのへんで。ごきげんよう。
Posted by 日刊いーしず at 12:00